遠藤 薫Kaori Endo

遠藤 薫

※画像と出品作品は異なる場合があります。

Profileプロフィール

遠藤 薫 (1989年、大阪生まれ) は国内外各地で、その地に根ざした工芸や歴史、生活と密接に関わる政治との関係性を紐解き、主に「布」を用いて作品を制作してきたアーティストです。それらを「使う」こと自体によって、工芸的と名指しされるものが、社会のなかでどのような位置にあるかを表現してきました。
2013年、沖縄県立芸術大学工芸専攻染織科卒業。2016年、志村ふくみ (紬織, 重要無形文化財保持者) 主宰アルスシムラ卒業。出身地である大阪に加え、東京、沖縄、ベトナムなどを拠点にしながら、国内外で制作を行う。最近の主な展示に「STILL ALIVE: 国際芸術祭あいち2022」 (豊島記念資料館、愛知県一宮市、2022年) 、「琉球の横顔」 (沖縄県立博物館・美術館、沖縄、2021–2022年) 、「Welcome, Stranger, to this Place」 (東京藝術大学大学美術館陳列館、東京、2021年) 、「閃光と落下傘」 (青森公立大学 国際芸術センター青森、青森、2020年) 「第13回 shiseido art egg」 (資生堂ギャラリー、東京、2019年) などがある。

Statementステイトメント

工芸の造形が生まれるところには、”両儀的”な何事かが含まれていると仮定します。
その時代の経済、政治、社会が抱えた矛盾。生活とは切り離し難いがゆえに、意識下/ 無意識下に関わらず、それらを内包するような姿。
あるいは、それは”抵抗の形”とも言えるのかもしれない。例えば、重力と液体の特性と人間の身体構造。または自然の摂理のために損なわれ続けることの、恐れ/ 畏れの形。
もしかすると、世界のあらゆる両儀的な事物を含みながら、また一方でそれらに大事なものを変えられまいとして、工芸は形作られているのではないでしょうか。

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作品について
《火炎瓶/コーラ/沖縄/1945》
《Molotov cocktail / Coke /Okinawa /1945》

・コーラ瓶の再生ガラス
戦後直後、米兵の捨てたコーラの瓶は真っ二つに切断され、下部はコップとして島中で利用された。
その後、空き瓶は再生ガラスの原料として使用される。
再利用であるが故に気泡が入ってしまう。その欠点をむしろ強みに変えるべく、稲嶺盛吉は黒糖や籾殻、魚の骨を混ぜ入れ、泡を意匠として発生させた。それが昨今の琉球泡ガラスの始まりとされる。

・コザ暴動の火炎瓶
1970年沖縄市、当時のコザ市にて起きたコザ暴動。
米兵が主婦を車両で殺害した事件に、無罪判決が下された。
その判決に対し、沖縄の住民が抗議の意味で投げたのはコーラの火炎瓶だった。

・ガラス作品に混ぜたもの
1945年製コーラの廃瓶 (沖縄本土戦で上陸した米兵が投げ捨てたもの) 、読谷の泡盛の廃瓶、燃えた首里城の灰と瓦の漆喰、辺野古の赤土、嘉手納基地の赤土、珊瑚、貝、星砂、黒糖、粉末ウコンなど。

・稲嶺盛吉さんが集めていたコーラ瓶
1988〜2000年のモデル。この瓶に含まれる緑成分が化学変化を起こす色が好ましいということで、特に集められていた。

・コーラの石膏型
琉球ガラスの古典的な技法に、吹きガラスを石膏型で挟んで成形するものがある。現代は少なくなった技術。今回はコーラ瓶を成形するために石膏型を用いた。

・稲嶺盛吉の「宙吹ガラス工房・虹」で採取した琉球ガラス片
赤土を用いた土紋や、灰や籾殻、黒糖などをガラスに溶かしこむことで、細かい気泡を発生させるその技法は、稲嶺盛吉の真骨頂。そのガラス片は、何度も再生させることができる。

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